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西宮市名塩木之元21-1 |
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0797-61-0902 |
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室町時代の文安2(1445)年に戦に破れこの地で自害した赤松満政とその一族を
供養するために建立されたといわれる。
本尊の木ノ元地蔵は、紀伊の木之元、近江の木之元とともに、聖徳太子が鎮護国家のために
一本の木から三体の地蔵を作ったといわれる日本三体地蔵のひとつだといわれる。
この地蔵には火にまつわる伝承があり、安土桃山時代の天正年間(1580年頃)に兵火で寺が
焼けた時に地蔵自ら火の中から飛び出して一部焼けただけで済んだので焼け地蔵といわれるようになった。
また、地元に住んでいた川辺音次夫婦が赤ん坊を家に残して裏山に薪をとりに行ったときに
家が家事になり、あわてて戻ると燃える家の中で日ごろ信心している木ノ元の地蔵が火の粉を
袖で払って赤ん坊を守っていたため、赤ん坊は無事だったが地蔵はやけどをして左の頬と衣に
その傷が残っているという事から火伏地蔵と呼ばれる、という民話もある。




