
 |
西宮市結善町1-24 |
 |
0798-73-6677 |
 |
日曜・月曜・祭日 |
 |
10時~16時(要予約) |
| 入館料 |
200円 |
昭和12(1937)年に近藤氏が建てた和洋折衷様式の住宅。
後年所有していた山本氏の遺言に基づき、文化振興を目的に平成10(1998)年に
財団法人山本清記念財団が設立され、この住宅と彼が収集していた茶道具などの
美術工芸品の展示がなされている(見学は要事前予約)。
平成19(2007)年には、国土の歴史的景観に寄与しているものとして「旧山本家住宅」が
国の登録有形文化財の指定を受けたが、茶室の貸し出しや文化教室の開催など、
文化財を活用しながらの保存がなされている。





 |
西宮市甲山町67 |
 |
0798-72-0037 |
 |
年末年始(12/29~1/3) |
 |
午前9時~午後5時 |
| |
|
西宮市立甲山自然環境センターは、甲山周辺の良好な環境を保全するとともに、市民の
自主的な自然体験活動、環境学習活動及び各種の研修及び交流並びに青少年の健全育成に
関する活動を推進するため設置され、センター内にある学習系の施設がこの二館になる。
「甲山自然の家」は、豊かな自然環境にかこまれて環境学習や自然体験のできる宿泊型の
施設で、宿泊室以外にも研修室などがあり、市民や青少年の研修・交流活動に役立てることができる。
「甲山自然学習館」は、甲山を訪れるハイカーや市民が甲山の成り立ちや四季折々の動植物などを
学んだりできる展示コーナーがある。
またこの建物は国内産木材を利用し、ソーラーパネルによる発電システム、雨水タンクの設置、
クールチューブと越屋根で夏の冷房設備(地中を通して作った涼風を室内に取り込み、暖かい空気を
越屋根から排気する事で夏の冷房に利用する)などを備えたエコハウスで、自然の恵みを生かした
暮らし方などに役立つ情報発信もしている。






 |
西宮市奥畑6-35 |
 |
0798-74-6616 |
| 桜の通り抜け |
3月末から4月初めころ |
| |
|
明治時代の病気の流行や衛生意識の高まり、冬の酒造期に宮水を大量にくみ上げる事による
井戸の水位低下や濁りなどによって、上水道の必要性が高まっていたため明治45(1912)年に
西宮町会ではじめて水の問題が取り上げられた。
さまざまな調査の後、大正12(1923)年に越水浄水場が開設し、工事費用総額135万円の
半額以上を寄附して計画推進に寄与した辰馬吉左衛門と八馬兼介をたたえる紀徳碑が
大正14年に建てられた。
普段は立入禁止だが、昭和23(1948)年からは春の桜の時期に場内が一般開放され
桜の通りぬけが楽しめる。
この桜は浄水場開設時に町長や有志が寄附して植えられたのが始まりで、昭和28(1953)年には
笹部新太郎氏によってソメイヨシノにかえて山桜や枝垂桜などを植えるよう指導や管理がなされ、
現在は多品種の桜を一度に見ることのできる市内随一の場所となっている。
浄水場という施設の性質上、場内での飲食は禁止となっているが、浄水場西門横の
震災記念碑公園であれば桜を見ながら飲食する事も出来る。







 |
西宮市奥畑 |
| |
|
満池谷やニテコ池や震災記念碑公園周辺は現在桜の名所として春先にはとても賑わう。
満池谷火葬場が明治40(1907)年に当時の大社村に開設。
市役所建設や阪神国道(国道二号線)開通などの開発のために六湛寺や海清寺の墓地の移転が
必要となったので、満池谷の墓域を拡大し昭和4(1929)年に当時の日本一の公園墓地が完成した。
ニテコ池は、室町時代に西宮神社の大練塀を作るときに土を掘り出したあとが池となったと伝えられ、
土を運ぶ時の掛け声「ネッテコイ」が「ネテコ」「ニテコ」と呼ばれるようになったいう。
もとは農業用ため池だったが大正13(1924)年からは越水浄水場の施設の一部となっている。

また、戦争に巻き込まれた兄妹の悲劇を描いた小説作品「火垂るの墓」にも登場している。
戦禍と、親戚からの冷遇を避けて満池谷付近へやってきた兄妹は、この地でつかの間の安らかな時を過ごす舞台となった。




西宮文学回廊 野坂昭如「火垂るの墓」
西宮の桜 さくら サクラ(2008年度記事)


 |
西宮市川添町15-26 |
 |
0798-33-1298 |
 |
月曜日 |
 |
午前10時~午後5時 |
| 入館料 |
無料 |
西宮地方の歴史と文化財を実物資料で知ることができる施設。
歴史を概略で紹介している常設展示室のほか、月替わりのアラカルト展示コーナーや、
夏におこなわれる企画展、郷土史講座や歴史散歩などのほか、分館にあたる
名塩和紙学習館での紙漉体験など多くのイベントも開催している。
夙川下流の中央図書館、平和資料館、市民ギャラリーなどを合わせた
西宮市教育文化センター内にある。




今年も走るよ もだんるーぷバス (2008年度記事)


 |
西宮市浜町8-10 |
| |
|
辰馬財閥分家である南辰馬家当主辰馬喜十郎が明治21(1888)年に作らせた
擬洋風建築の邸宅。
自宅の新築にあたり、日本人大工に神戸英国領事館を模して作るように指示したと伝えられ、
木造二階建てで、一階二階ともに正面から南側にかけて列柱のあるベランダや、
両開きの鎧戸などが、神戸異人館でも見られるようなコロニアル風デザインとなっているが、
一般公開はされていないため内部の見学は出来ない。
昭和56(1981)年に西宮市指定文化財に、昭和57(1982)年には兵庫県指定文化財となっている。






 |
西宮市本町6 |
| |
|
えびす様の伝承にまつわる場所におこしや跡がある。
昔、鳴尾の漁師が漁をしていると網に何か重たい物がかかり魚ではないので
海に戻したが、そのあと和田岬あたりでの漁でもまた重たい物がかかり、
それは朝海に戻したものと同じものだった。
不思議な事があるものと思い、神様の像のようにも見えるので今度家へ持ち帰って
置いておいたところ、「西によい場所があるので、そこでおまつりして拝めば大漁に
なるだろう」と、漁師の夢の中にえびす様が現れた。
目が覚めてから漁師たちはえびす様をかごに乗せて西へ向かったが、途中でえびす様が
居眠りしてしまい時間がどんどん過ぎるので、恐れ多くもえびす様のお尻をつねって起こし、
そこから少し西の森の中へ無事お運びすることが出来たという。
このえびす様を起こすのにお尻をつねった場所が御輿屋跡地でその西の森は
西宮神社にあたる。
毎年6月14日にまつりがあり、その夏初めて浴衣を着るので「ゆかた祭り」、
神輿に旬の枇杷の実を飾り付けるので「びわ祭り」ともいわれる。







 |
西宮市産所町10 |
| |
|
えびす信仰を人形劇で分かりやすく全国に広めていった傀儡子(くぐつし・かいらいし)
たちが住んでいたとされる西宮神社の北側に、えびすまわし発祥の地を記念して
傀儡師の像が建てられている。
この人形操りを生業とする者(傀儡師・木偶廻し・人形まわしなど)は平安時代にあわられ
各地をめぐっていたが、室町時代に現在の産所町に住み着くものが現れ、西宮神社の
雑役奉仕をしながら諸国をめぐった。
室町時代末頃には「えびすかき」「えびすまわし」といわれ、京都の宮中で公演することも
あるほどになり、江戸時代には淡路の人形遣いや大阪の人形浄瑠璃芝居へ発展したと
いわれるが、西宮のえびすまわしは江戸時代末頃から姿を消してしまった。
傀儡師が信仰していた百太夫をまつった神社は現産所町にあったが、
傀儡子が姿を消したあとは西宮神社の境内に移されて現存している。

西宮の傀儡師たちが全国に人形まわしを伝え広めていた様子は、瀬戸内晴美の人形浄瑠璃をテーマにした小説「恋川」でも触れられている。
同作は二代目桐竹紋十郎を主人公に置いた作品なので、わずかでしかないが、西宮が登場する。




西宮文学回廊 瀬戸内晴美「恋川」


 |
西宮市大浜町1-41 |
 |
0798-35-5060 |
 |
月・水・木・金休館、 祝日は開館 |
 |
午後1時~5時 |
| |
|
西宮回生病院の院長でもあった菊池典男氏が医業の傍ら世界各国で収集した
コレクションを展示する施設で昭和59(1984)年に開館。
常設展示されている約2000種の貝類はショーケースなどでさえぎられておらず、
展示品をさわって重さや質感を直接体感することができる。






 |
西宮市石在町13 |
| |
|
阪神西宮駅から南の国道43号線のすぐ南の地域は宮水地帯と呼ばれ、
各酒造メーカーが宮水をくみ上げている。
そのなかの白鷹・白鹿・大関の三社の宮水井戸の敷地を合わせて平成9(1997)年に
整備した場所が宮水庭園と呼ばれており、酒造りの歴史などが書かれた説明板があるが、
庭園は道路から眺めるだけで入ることは出来ない。
この周辺の他の井戸は塀の中に隠れており見学など出来ないが、数社が共同で
使用している井戸や日本盛・菊正宗・沢の鶴などの各社の「宮水井戸」と書かれた看板を
見るだけでも、宮水とはごく限られた地域でしか汲み上げることの出来ない希少なものだと
感じることができる。




