
現在の津門の辺りは、万葉の時代から「角(つぬ)の松原」として広く知られた
松林の美しい場所で、和歌にも詠まれている。
平安時代の延喜元(901)年に京都から大宰府に左遷される途中の菅原道真が
このあたりで休憩したといわれ、その場所に後世になって建てられたのが松原神社である。

西宮地方の歴史と文化財を実物資料で知ることができる施設。
歴史を概略で紹介している常設展示室のほか、月替わりのアラカルト展示コーナーや、
夏におこなわれる企画展、郷土史講座や歴史散歩などのほか、分館にあたる
名塩和紙学習館での紙漉体験など多くのイベントも開催している。
夙川下流の中央図書館、平和資料館、市民ギャラリーなどを合わせた
西宮市教育文化センター内にある。






辰馬財閥分家である南辰馬家当主辰馬喜十郎が明治21(1888)年に作らせた
擬洋風建築の邸宅。
自宅の新築にあたり、日本人大工に神戸英国領事館を模して作るように指示したと伝えられ、
木造二階建てで、一階二階ともに正面から南側にかけて列柱のあるベランダや、
両開きの鎧戸などが、神戸異人館でも見られるようなコロニアル風デザインとなっているが、
一般公開はされていないため内部の見学は出来ない。
昭和56(1981)年に西宮市指定文化財に、昭和57(1982)年には兵庫県指定文化財となっている。






えびす様の伝承にまつわる場所におこしや跡がある。
昔、鳴尾の漁師が漁をしていると網に何か重たい物がかかり魚ではないので
海に戻したが、そのあと和田岬あたりでの漁でもまた重たい物がかかり、
それは朝海に戻したものと同じものだった。
不思議な事があるものと思い、神様の像のようにも見えるので今度家へ持ち帰って
置いておいたところ、「西によい場所があるので、そこでおまつりして拝めば大漁に
なるだろう」と、漁師の夢の中にえびす様が現れた。
目が覚めてから漁師たちはえびす様をかごに乗せて西へ向かったが、途中でえびす様が
居眠りしてしまい時間がどんどん過ぎるので、恐れ多くもえびす様のお尻をつねって起こし、
そこから少し西の森の中へ無事お運びすることが出来たという。
このえびす様を起こすのにお尻をつねった場所が御輿屋跡地でその西の森は
西宮神社にあたる。
毎年6月14日にまつりがあり、その夏初めて浴衣を着るので「ゆかた祭り」、
神輿に旬の枇杷の実を飾り付けるので「びわ祭り」ともいわれる。







えびす信仰を人形劇で分かりやすく全国に広めていった傀儡子(くぐつし・かいらいし)
たちが住んでいたとされる西宮神社の北側に、えびすまわし発祥の地を記念して
傀儡師の像が建てられている。
この人形操りを生業とする者(傀儡師・木偶廻し・人形まわしなど)は平安時代にあわられ
各地をめぐっていたが、室町時代に現在の産所町に住み着くものが現れ、西宮神社の
雑役奉仕をしながら諸国をめぐった。
室町時代末頃には「えびすかき」「えびすまわし」といわれ、京都の宮中で公演することも
あるほどになり、江戸時代には淡路の人形遣いや大阪の人形浄瑠璃芝居へ発展したと
いわれるが、西宮のえびすまわしは江戸時代末頃から姿を消してしまった。
傀儡師が信仰していた百太夫をまつった神社は現産所町にあったが、
傀儡子が姿を消したあとは西宮神社の境内に移されて現存している。







江戸時代末頃に西宮で米穀商を営んでいた當舎屋金兵衛(とうしゃやきんべえ)は、
江戸へ送る酒の船積みなどで栄える西宮の港が夙川からの土砂で埋まり
使いづらくなるため、港の改修を決意した。
そのため沖へ1kmほど伸びる防波堤を造ろうと計画し、寄附を募り、
完成図を描いた絵馬を西宮神社へ奉納して祈念した。
享和2年(1802年)に着工したが工事が難航したので、工事の成功を願って海上交通の
守護神住吉大神を勧請して文化2年(1805年)に住吉神社が建立された。
当初はもう少し浜の先に祀られていたが明治2(1869)年に現在地へ移された。
境内にある當舎屋金兵衛港湾修築碑は昭和3(1928)年に建てられ、
平成17(2005)年には鎮座200年記念の境内整備事業でも金兵衛の顕彰記念碑が設置された。







西宮回生病院の院長でもあった菊池典男氏が医業の傍ら世界各国で収集した
コレクションを展示する施設で昭和59(1984)年に開館。
常設展示されている約2000種の貝類はショーケースなどでさえぎられておらず、
展示品をさわって重さや質感を直接体感することができる。

夙川河口の御前浜(おまえはま)とも呼ばれる海岸。
江戸時代には御前浜の鯛が、昭和の中ごろまではイワシが名産だったらしいが、
現在は埋立地の西宮浜にさえぎられその面影はなく、芦屋沖へ続く海洋スポーツの
盛んな場所となっている。
また、兵庫県は昭和59年に身近な鳥獣生息地として「夙川河口鳥獣保護区」に指定し、
野鳥の保護・繁殖が図られている。





山邑太左衛門(やまむらたざえもん)が発見した宮水最初の井戸といわれる
「梅の木井戸」の跡地に碑が建てられ、行事のあるときだけ水がくみ上げられる。
江戸時代末頃に西宮と魚崎(神戸)で酒造りをしていた山邑太左衛門は、
西宮で作る酒のほうがいつも質がよかったので、米や杜氏を変えたりして研究した結果、
天保11(1804)年に水の違いによるものだと発見し、西宮の水ということから
「宮水(みやみず)」と呼ばれるようになった。
現代の分析によると、このごく限られた地域でしかくみ上げる事の出来ない六甲山系からの
伏流水は、酒造りの大敵である鉄分が少なく、一方リンやカリウムなどのミネラルが
多いため酒造りにむいており、きりっと力強い酒が出来るという。
環境庁の日本名水100選にも選ばれているが硬水なので、もしこの水をそのままで
飲んでもあまりおいしいものではないらしい。







阪神西宮駅から南の国道43号線のすぐ南の地域は宮水地帯と呼ばれ、
各酒造メーカーが宮水をくみ上げている。
そのなかの白鷹・白鹿・大関の三社の宮水井戸の敷地を合わせて平成9(1997)年に
整備した場所が宮水庭園と呼ばれており、酒造りの歴史などが書かれた説明板があるが、
庭園は道路から眺めるだけで入ることは出来ない。
この周辺の他の井戸は塀の中に隠れており見学など出来ないが、数社が共同で
使用している井戸や日本盛・菊正宗・沢の鶴などの各社の「宮水井戸」と書かれた看板を
見るだけでも、宮水とはごく限られた地域でしか汲み上げることの出来ない希少なものだと
感じることができる。




